こちら、本物です。
もはや言わずと知れた国民的ソングでもある「パプリカ」ですね。結構歌うのが難しい曲ではあると思うのですが、Foorinはその辺とても上手だったし、子供達のあどけない歌声がこの懐かしさを感じるようなメロディに乗ることで広く一般受けしたのではないかなぁと。
こちらは東京オリンピック2020の応援ソングでしたが、嵐の歌う「カイト」もこの曲の延長線上にあるような歌ですね。郷愁を感じさせるメロディと歌詞に出てくる「らるらりら」なんかは凄くリンクさせられる部分でもあります。
さて、みなさんこんにちは。
今日は残念なことに訃報から。
トムトムの家に長く通われていた利用者さんが、先週お亡くなりになりました。
もう13年か14年ですかね。以前は別の事業所に通われていましたが、体調面でその事業所に通うことが難しくなり以前から交流もあったトムトムに通われたのが最初ですね。
お茶目な方でした。女性の声はほとんど聞こえなかったりするのに、男性職員の声にはビシッと反応を返してみんなに色々言われていましたね(笑)古い職員から順番に好きだったようで、男性で一番管理人が古いので常にナンバー1でした。
色々と考えていましたね。グループホームに住んでいたのですが、独立を常々考えていて日々どうしたらお金が稼げるのかを考えていました。いつも突拍子も無い案を出してきては却下されていましたね。
世界一周旅行も夢でしたね、クルーズ船で。去年だったかな、船を作ってくれと何度も頼まれたのは面白かったですね。何度も頼んできていたので、大きなタライを渡して「作ってきたよ!」と言うととても嬉しそうにしつつも「これでフランス行けますかね?」と本気で聞いてきていたのは良い思い出です。
コンサートも行きたがっていましたね。最近はコロナの影響もあり外出が出来なかったためずいぶん行けていなかったですが、同窓会コンサートというなつかしい面々が集うコンサートがあるのですが、そこに出ていた伊東美咲さんとの写真はとても嬉しそうに映っていましたね。
CDも出したがっていました。今年コンサートが無かったらカラオケに行ってCDを作る予定だったんですけどね、実現出来なかったなぁ。まぁ多分本人はそれを発売してお金を稼ごうとしていたんだと思いますが。
ここ最近は色々と病状も悪化しており体調の良くない日が続いていました。トムトムに来てもほぼ一日中横になっている日が多かったし、声かけにも全然反応出来ない日も多かったです。あちこちに通院もしており本人も非常に頑張っていたのですが、亡くなってしまったことは大変残念に思います。
なんだかんだでもう18年くらい働いている管理人としては、やはり利用者さんが亡くなるということは辛いですね。付き合いの長い利用者さんですし。なんか実感もなかなかわかないですね。先日ご遺体に会いに鶴見まで行きましたが、呼びかけたら起きそうな寝顔でしたね。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
あっちではいろんな所に旅行に行けるといいね。
と、鶴見の話題が出たのでもう一つ小話を。
ここから鶴見だとなかなか行けない(コロナの関係もあったりして)ので、金曜日の終業後に支援員で希望者を募って会いに行ったのですが、総勢15名の団体様となってしまったため送迎車で行きました。長距離運転かつ高速道路(しかも管理人の嫌いな首都高)なので、管理人は自分の車で行ってたばこを吸いながら行きたかったんですよね。それなのになんだかんだとあって結局送迎車を運転して行くことになって渋々2号車を運転して行ったんです。この2号車、先日走行中にやけにアイドリングが低く、まるで機関車みたいな音を出していたので日産に修理に出していて戻ってきていたのですが、こいつがくせ者でした。
慣れない首都高をようやく終え、一般道に出たところでまず管理人が異変に気づきます。道路のつなぎ目の鉄みたいな部分?あれを通過した時に「ガリッ」という嫌な音。「あれ?ここのつなぎ目の部分はこんな音するのかな?」と思いつつもややゆっくりめで走行。斎場に近づくにつれて大きくなる異音。これはやばいと思い助手席の所長に「なんかやばい音しない?」と言ったところでさらに酷いガリガリ音。慌てて安全な場所に停めて車体を確認。最初はシャフトに何か絡んだかブレーキになんか噛んだかと思っていましたが、下を覗くと明らかに何かのカバーが片方外れていて、それが地面に擦っている状態でした。多分後続車からは送迎車から火花が出ていただろうなと思えるレベルで。
速攻で日産に連絡を取ると同時に、目の前にあったパーキングにそっと入庫。原因は先日行った修理の際のボルト締め忘れというとんでもない事態でした。
とりあえずカバーは締め直すか外して走行すれば問題ないとのことで、近くの日産から誰か派遣されてくるのかと思いきや、いつもの日産から人が来るっていう。1時間待たされるの?という理不尽さの方が腹が立ちましたね。工場長が来るというのは管理責任の観点から気持ちはわからなくないですが、お客様を待たせるというのはいかがなものでしょうかと。
幸い停めた場所が斎場から割と近い場所だったので、先にご遺体との挨拶は済ませて、残りの送迎車に分乗して数名だけ残ることに。
結局一時間ほどして、カバーを外してもらってそれからまた首都高。しかももう真っ暗だし台風の湿った風の影響でラピュタみたいな雷雲がピカピカしてるのが見える中なんとか無事に帰ってきました。
きっとこうなる予感から送迎車の運転したくなかったのかなぁと思いつつ、運転してるのが自分ですぐに気づいて修理までこぎ着けられたんだと思えばまぁ良かったのかもと。
そんなことがあった、先週末でした。
さて、そろそろみんなのお茶の準備でも始めますかね。
それでは、また。
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